30年戦争中に建てられた、三位一体教会
今日は、南ドイツを代表するプロテスタントの教会、三位一体教会のご紹介です。
なんと、これは、ノイブルク・アン・デア・ドナウにあるホーフ教会に次いで、二番目に古いプロテスタント教会なんだそうです。
カトリックの街レーゲンスブルクも、実は150年間ほど、プロテスタントの街であった時代があります(1651-1802年)。
マルチン・ルターの宗教改革は、皆さんもご存知の通り、1517年。その後5年ほどかかって、レーゲンスブルクにもプロテスタントの考えが広まって来ました。
当時のヨーロッパは、プロテスタントであるだけで、魔女とされ、魔女狩りの対象となっていました。そんな中、レーゲンスブルクは新しい考え方を柔軟に受け入れる街であり、周辺の街や国から、お金持ちのプロテスタントの人々が集まって来たのです。
1542年には、最初のプロテスタントのミサが、ノイプファー広場にある教会を借りて、行われたのです。三位一体教会が出来るまで、およそ90年間、この教会を借りてプロテスタントのミサが行われました。
当時、ヨーロッパ中が貧しく、新築で教会を建てることは稀でした。しかも、建築途中には、三十年戦争(1618-1648年)があったのにも関わらず、4年半という短い時間で、教会は完成しました。
最近、数年かけて内装も修理し、今ではまた美しい姿を一般に見せてくれていますが、教会内の机や椅子はオリジナルのまま。木製の椅子は、虫食いなどの被害がひどかったようですが、修復の際にオリジナルを保つことに力を入れたようです。
新築で建てられたこの教会は、初期バロック様式でありながらも、後期ゴシック様式の余韻を残したものとなっています。それは、この教会が、「新しい」にも関わらず、昔からあったかのように思わせるための手法です。
この教会は、二つの塔を持っていますが、南側の塔は、完成していません。北側の塔には、3月の最後の週末から、10月最後の週末まで登ることが出来ます(12時以降、2ユーロ)。
中世の街並みを残すレーゲンスブルクを見下ろすことができる、数少ないスポットの一つです。
階段は、狭く急です。苦手な人も居るでしょうね、こういうの。
これでも、階段を一部修復して良くなったんですよ。
塔からの眺め↓
また、教会の隣には、17、18世紀のお墓があります。
こちらも、チラ見の価値あり!お墓は、もちろんお金持ちのプロテスタントの人達のものです。
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