氷室神社で古代のオンザロック

公開日 : 2019年01月24日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は奈良国立博物館の向かい側にある氷室(ひむろ)神社を紹介。

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奈良でも、有数の桜の名所でもある氷室神社は、元明(げんめい)天皇によって710年に藤原京より平城京へ平城京に遷都されたときに、この地へ移されましたが、かつては奈良市の東に位置した都祁(つげ)村にあった氷室でした。

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氷室とは、穴を掘って茅(かや)を敷き詰め、冬期に採った氷をたくさん詰め込んで保存する部屋のことで、現在でいうところの冷凍庫にあたります。真夏ともなればスチームサウナのように湿気と猛暑が凄い奈良の地で、そのように氷を保つことができる技術があったとは、本当に先人たちの知恵には恐れ入るばかりです。

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ご祭神は闘鶏稲置大山主命(ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト(名前が長すぎるね(;´・ω・))と仁徳天皇と異母兄の額田大仲彦命の三柱。氷の神様であるツゲノイナギはそもかく、なぜそこに仁徳天皇と兄の額田大仲彦が関係しているのでしょうか。

その答えは「日本書紀」の中にあります。仁徳天皇62年、額田大中彦皇子が闘鶏(つけ)で狩りをした。このとき皇子は山の上から野の中を見ると、何かがあり、使者を遣わして確認させると「窟(むろ)です」と言った。

そこでさっそく闘鶏稲置大山主を呼んで「あれは何の窟だ」と問うと、「氷室です」と答えた。皇子が「その納めたは様子はどうなっているのか。またどのように使うのか」と言うと「土を掘ること一丈余。萱をその上に葺き、厚く茅すすきを敷いて、氷を取ってその上に置きます。夏を越しても消えません。熱い時期に水酒に浸して使います」と言った。

皇子はその氷を持っきて御所に献上すると、仁徳天皇は喜んだ。これ以後、師走になるたびに必ず氷を納め、春分になると氷を配った。と、このような物語が書かれていることによるわけです。

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つまり奈良時代どころか、仁徳天皇の御世にすでに熱い時にはオンザロックでお酒を飲まれていた...ということがちゃんと記録されているんですね。

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毎月1日に行われる献氷灯も綺麗だし、5月1日にはコイやタイを封じ込めた高さ約1mの氷柱が神前に供えられる献氷祭が行われている(これはちょっと怖いね(;´∀`))

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最近では「奈良を氷のまちとして発信したい」との願いを込こめられ、奈良県はもちろんのこと茨城、岐阜、名古屋、大阪といった各地のかき氷の名店も参加されるひむろしらゆき祭という、かき氷のお祭りも開催されて大勢のかき氷ファンが楽しんでおられます。

大阪と京都という両隣のおかげで「美味いものなし!」と揶揄される奈良の食文化観光の、新たな活路となれば良いですよね。

実際にかき氷の他にも美味しいものがたくさんありますので、ぜひ色々と食べに来ていただきたいと思います。

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