岡寺では「義淵僧正ハンパないって!」と言われていたかも

公開日 : 2018年09月20日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は明日香村にある岡寺を解いたします。

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明日香村の石舞台古墳から北方向に折れて、万葉文化館方面へ道なりに進めば駐車場があります。電車の場合は岡寺駅から東に向かってひたすら真っすぐ山手に歩けば着きますが、お寺の手前の坂がキツイかもしれません。

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岡寺は天武(てんむ)天皇の皇子で、若くして亡くなった草壁皇子(くさかべのみこ)が住んでおられた岡宮(おかのみや)の跡に、奈良時代の高僧・義淵僧正(ぎえんそうじょう)が創建したと伝わっています。

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西国三十三ヶ所観音霊場の七番目札所としても有名です。

この本堂をはじめとする諸堂は江戸時代以降の再建ではありますが、御本尊の如意輪(にょいりん)観音菩薩は奈良時代のもの。塑像(そぞう)という技法で作られ、木で作った骨組みに、漆などを混ぜた粘土を盛り上げた後からお顔や飾りの彫刻をほどこしていくというものです。なんとっ!座ったままで像高が4.8mもあり、国内の塑像の中では断トツの大きさを誇っておられます。

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如意輪観音における三摩耶形 (さんまやぎょう=それぞれの仏を表わすシンボルのこと)は如意宝珠と紅蓮華となっていますし、像容としては一面六臂(ろっぴ=6本の腕)で片膝立てて頬づえついていて、なんとも艶めかしい表情の像が一般的ですので、正直この像を如意輪観音像と呼ぶには少々疑問も残りますが、これには長い歴史という大人の事情があるので、あえて詮索をするのは無粋というものです(≧▽≦)

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岡寺は、正式には龍蓋寺(りゅうがいじ)といいます。これは、かつて寺の近くで農地を荒らしまくっていた悪龍を、義淵僧正(ぎえんそうじょう)が法力によってねじ伏せ、小池に封じ込めて大きな石で蓋(ふた)をしたという伝説が由来となっています。

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このエピソードが元となって、厄介者をお祓いしてくれるという厄除信仰に発展し、日本では最古といわれる厄除け祈願のお寺となったそうです。ちなみに本堂の前にその池があるので覗いてみましたが、今も蓋がしっかりされていますので、龍も静かなものでした。

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義淵はかなりの高僧なのですが、その出生についてはあまり明らかにされていません。ただ、幼少のころに天武天皇の皇子、草壁の皇子とともに養育され、皇太子であった草壁の皇子が亡くなった後に、住居のあったこの岡宮にお寺を建てることが許されたとなれば、相当高貴な血筋であることは誰の目からも明らかですよね。境内には義淵僧正の供養塔が建てられています。

そして何といっても、奈良時代の高僧といえば、東大寺創建に関わった行基(ぎょうき)、初代別当の良弁(ろうべん)、玄昉(げんぼう)というビッグネームが有名なのですが、じつは皆さん義淵僧正の門下生だというのですから、きっと「義淵ハンパないって!」と言われていたことでしょう。

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