日本で最初に神宮と称された石上神宮

公開日 : 2018年07月26日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は天理市にあります石上神宮(いそのかみじんぐう)を解説♪

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この神社は天理駅から少し距離があることもあって、一般的な観光客は少ないですが、かつてはこの石上と三重県の伊勢の二か所だけに神宮の称号が使われていたとされるほどの格の高い神社なのです。

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御祭神は布都御魂(フツノミタマ)という霊力をもった神剣、つまり神様の霊力をもつ剣そのものが御祭神として祀られています。

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あまり耳慣れない名前だな?と思われるかもしれませんが、この剣は古事記に二度も登場するほど凄い力を持っているんです。一度目は建御雷命(タケミカヅチ=春日大社の第一祭神)が、高天原の命を受けて出雲へ出向き、地上界を武力で制圧していた大国主命(オオクニヌシ)に国を譲るように直談判しに行ったときです。砂浜に突き刺してその上にドッカと座り、オオクニヌシに返答を迫るシーンは本当に迫力があります。

そして二度目はカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)が九州の高千穂宮から大和に向かわれた時、幾多の困難に遭遇しながらも進まれましたが、熊野で賊の毒気にあたり、とうとう軍が壊滅寸前の状態に陥ることになってしまったという場面です。

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その時にふたたび天照大神の命を受けたタケミカヅチが霊剣・布都御魂(フツノミタマ)を天から降ろされました。それを高倉下(たかくらじ)が受け取りイワレビコ一行に捧げると、この剣の持つ不思議な力によって毒が消え去り、全員蘇り、賊も退散しました。

そして後に、大和の橿原宮にて初代・神武(じんむ)天皇として即位され、ヤマトを統治されたというお話です。

剣というと相手を殺傷するための道具だと思いがちですが、この二つの物語でこの霊験によって誰かが傷つけられるというシーンがないというのが凄いですね。あくまでも神の霊力というものが剣の形になって現れた神聖なものであるという事です。

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風格のある楼門をくぐるとどっしりとした拝殿があります。

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白河天皇が御所から寄進したと伝わってはいますが、柱を貫通する水平材を多用されており、東大寺南大門と同じく天竺様(てんじくよう)の建築様式の要素がみられますし、仏堂風の色合いからみても実際の建立年代は鎌倉時代初期ではないかともいわれています。

石上神宮では、これまた伊勢神宮と同じく、暁に時を告げる鳥として神聖視され、神様のお使いともされる鶏や烏骨鶏や尾長鶏など多種にわたって約30羽ほど境内に放し飼いになっています。

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イタチ、タヌキ、テンなどの小動物による被害を受けるそうで、鶏たちは自衛の対策として、暗くなる前に低い木から順に高い枝へと移っていき、けっこう高い木で夜を過ごしているので、朝一番に参拝すればこのように木に止まってる鶏を見ることも出来ますよ。

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御祭神の剣は決して見ることはできませんが、この剣から放たれた霊力が境内いっぱいに広がっていますので、ぜひ参拝いただいて感じていただけたらと思います。

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