南朝の御所・吉水神社

公開日 : 2018年04月12日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道の一つに指定されている吉水神社(よしみずじんじゃ)を紹介いたします。

こちらは本来、金峯山寺(きんぷせんじ)に属する吉水院(きっすいいん)という僧房であり、京を追われた後醍醐(ごだいご)天皇が吉野に入られたときに行宮(あんぐう=仮の御所)を設けられた場所として名高い所です。

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桃山時代には太閤・豊臣秀吉が盛大な花見を催したことでも有名場所でもあり、ここからの眺望は本当に素晴らしいです。残念ながら桜のない時期の写真ですがこの看板に偽りなく、春には一目千本の桜が見渡せます。

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江戸時代までは僧房であった吉水院は、明治維新の神仏分離令によって、後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成(くすのきまさしげ)、宗信法印(そうしんほういん)という南朝時代の僧を併せてお祀りする吉水神社へとされたわけです。

向って右端には残念ながら平成13年に焼失してしまった勝手神社(かってじんじゃ)もここに仮遷座されています。

勝手神社というのは平安時代末期に源頼朝(みなもとのよりとも)が差し向けた刺客から逃れて、別々に吉野を目指した義経(よしつね)と静御前(しずかごぜん)が再開を果たした場所であり、また永遠の別れの場所となってしまったことで、よく舞台などに登場する場所なのです。

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隣接する書院は国の重要文化財に指定されており、源義経が使用したと伝わる鎧や太刀などの武具や、後醍醐天皇をはじめとする南朝の歴代天皇ゆかりの品々。そして太閤秀吉公の時代のものに至る数々の宝物が展示されています。

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この部屋は上段の間と下段の間で構成され、桃山時代特有の帳台構(ちょうだいがまえ)にリフォームされ、豪華な書院造(しょいんづくり)の様式に風格が加わり、絢爛豪華な桃山書院の姿をとどめています。

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この北闕門(ほっけつもん)と名付けられた門は文字通り北に向いており、後醍醐天皇が朝夕ここに立たれて京の空を見ながら「九字真法」によって邪鬼を払われたと伝わります。

九字真法とは「臨(りん)・兵(びょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん」の九字の呪文を唱えながら同時に手を刀に見立てて四縦五横(縦に四回横に五回)に空を切るお祓い法のことです。

この作法については門の前に解説してありますので、ぜひご自分でもなさってみてください。

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いつの日か京へ戻られることを祈願しながら、毎日ここで繰り返し九字真法を唱えておられたことを思いながらこの地に立つと、後醍醐天皇のお気持ちが少しは感じられるかもしれません。

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