日本一の桜の名所・吉野山

公開日 : 2018年03月29日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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吉野山といえば桜の名所として全国にその名を轟かせ、4月の上旬から中旬にかけて約3万本ともいわれる桜が山全体を覆うように咲き誇りますので、国内外からも多くの観光客が来られます。

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吉野山の桜は「シロヤマザクラ」といいましてソメイヨシノとは違い、白い花と赤みがかった葉が同時に出ることで遠目には淡いピンク色に見えるのが特徴です

しかし、そもそもなぜ吉野山にこれほど多くの桜が植えられたかをご存知の方はそれほど多くありません。

その起源は今から1300年前ほど前にさかのぼります。

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その頃にすでに吉野は神々のおられる神聖な霊山として認識されていました。修験道の基礎を開かれた役小角(えんのおづぬ=役行者とも)が、この吉野山で千日もの苦行をされ、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)を感得されました。

権現とは仮の姿で現われるという意味で、こちらの金剛蔵王権現は仏教の釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩、そして神道における天神地祇(てんじんちぎ=すべての神々)のパワーを備えた尊像で、現在過去未来のあらゆる衆生の救済してくださるとして修験道の御本尊とされています。

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そして役小角は蔵王権現像を桜の木に刻み、吉野山に祀ったと伝わっています。その後、修験道が隆盛するにつれ、役行者が本尊を刻んだ「桜」こそが「御神木」としてふさわしいとされました。

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平安時代に入りまして、京都に醍醐寺を開かれた理源大師・聖宝(しょうほう)が蔵王権現を本尊とする金峯山寺(きんぷせんじ)へ入られてからは修験道もかなり繁栄しました。宇多天皇や関白・藤原道長、白河上皇といった皇族や貴族もこぞって参詣されたことで、御神木を献木するという布施活動によって、桜がここまで増え続けてきたというわけです。

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このような流れを知ると、現在でも修験道の道場を持たれている醍醐寺もまた、桜の名所となっていることも納得できます。

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このように吉野の桜は、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として大切に保護されてきたという歴史がありますので、近代になってから桜並木を整備したり保護したりと、桜を観光客目当ての観光資源としている他所のところとは根本的に違うといえます。

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