新薬師寺の十二神将像

公開日 : 2017年12月14日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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ならまちを東へ抜けて10分ほど歩けば、入江泰吉記念奈良市写真美術館(いりえたいきちきねん ならししゃしんびじゅつかん)があります。黒川紀章氏設計の建物は、周りの景観を損なわないように展示室はもちろん、大部分は地下に埋め込まれており、瓦葺きの屋根を採用することで、古都奈良のイメージに合わせたこだわりも感じられます。

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こちらは西日本初の写真専門の美術館として建てられ、その名前の通り戦後に奈良の仏教美術に魅せられて、奈良の風景や文化財を撮りつづけた写真家、入江泰吉先生の代表作品がズラリと展示されています。

もちろんここだけでも見どころ満点なのですが、今回はその東隣りにあります新薬師寺(しんやくしじ)を解説いたします。

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薬師寺という名前は、西ノ京にある世界文化遺産の薬師寺(やくしじ)と間違われがちですが、こちらは春日大社の南側に位置した場所にあるお寺ですので別物ではありますが、どちらも御本尊が薬師如来ですから、まったく関係がないわけではありません。

由緒には諸説ありますが、奈良時代に東大寺を創建する前から体調が思わしくなかった第四十五代・聖武(しょうむ)天皇の病気平癒のため、光明(こうみょう)皇后が創建され、薬師如来の霊験があらたかという意味を込めて新薬師寺と命名れたというのが一般的です。

飛鳥時代に皇后の病気平癒を祈願されて、天武天皇が建立した薬師寺の由来とは逆ですが、やはり少し似ています。

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本堂は天平時代の入母屋造(いりもやづくり)で屋根がやや平べったいイメージなのが特徴です。正面は柱間7間のうち中央3間が戸口となっており、その左右各2間は白壁仕様となっています。

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側面、背面も戸口があるだけで、窓が設置されていませんので堂内はあまり明るいとはいえません。しかしこちらのお堂は現代に残る数少ない奈良時代の建造物として大変貴重なものであり、国宝に指定されています。

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新薬師寺は創建された当時、東西に五重塔を備え、法堂、金堂、方丈、経蔵、鐘楼、僧房、食堂という七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院でしたが、780年には落雷により西塔が火災に遭い、他のお堂も延焼。また962年には台風で金堂以下の主要なお堂が倒壊してしまいました。

1180年の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ち事件の時には、現在の本堂だけを残し全焼してしまいました。

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こちらのご本尊は平安時代初期のお像で、仏像には珍しくお目々パッチリの薬師如来像です。創建時のお像ではありませんし、脇侍として寄り添っておられるはずの日光・月光両菩薩もおられませんが、天平彫刻の傑作と名高い等身大の十二神将が、ぐるりと御本尊を守護しておられるのは圧巻で、他ではお目にかかれない迫力があります。(写真は燈花会のときの御開帳 Y.Fujita撮影)

これら塑像(そぞう)の十二体が1260年もの長きにわたり幾多の災難をくぐり抜けて、今なお立ち続けている姿、天平人の心と技を目の当りにできることだけでも新薬師寺に足を運んでいただく価値があるのではないでしょうか。

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また、本堂の西側の庫裡(くり)には小ぶりながら池泉観賞式のお庭があり、季節の花などを楽しめますし、お座敷の中では新薬師寺のDVDが上映されていますので、こちらもぜひ楽しんで頂けたらと思います。

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