マニラにある「ウォーク・オブ・フェイム」 ケソン市、イーストウッド・シティ

公開日 : 2014年10月01日
最終更新 :
筆者 : Okada M.A.

徒然なるままに、マニラの北東部にあるケソン市はイーストウッド・シティを歩いていると、ロサンゼルスのハリウッド大通りにある、アメリカのショービズの成功者・功労者を顕彰する為の記念歩道「ウォーク・オブ・フェイム」を模した歩道があることに気づく。

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アメリカのハリウッドの、MGMやパラマウント、イタリアのチネ・チッタ、日本の砧や太秦などの様な巨大な撮影所が、ここマニラにもかつては存在し、そのLVN撮影所は、今をときめく香港映画の撮影所のモデルにもなったという。フィリピン映画の名匠・エディ・ロメロ監督は、一方で小津安二郎に影響された国内向けに生み出され続けた秀作の一方では、アメリカ市場向けの、B級アクション/エログロ映画を公開し続けて、映画の本場アメリカで人気を博したこともある。

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「ウォール・オブ・フェイム」イーストウッド・シティのシネコンには、往年のフィリピン映画の大スターの写真とデータがパネル展示されている。

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しかし今は、その隆盛の見る影も無くなってしまった。丁度、日活映画のアクション大スターだった小林旭と存在感が似ているジョセフ・エストラダがフィリピン大統領になり、その彼の失脚後、これも日活の石原裕次郎に存在がダブる、国民的スターのフェルナンド・ポーJr.が華々しく大統領に立候補し、大接戦の末に当時の現職の女性大統領グロリア・アロヨに破れ、あろうことか、その心労の為でもあるのか選挙直後に早世した十年程前から映画産業の凋落は決定的となっていた。

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フェルナンド・ポーJr.の父親のSr.も往年の大スターだった。また彼の主演アクション映画は、アメリカで公開され、ヒットしたこともある。(当ブログでもお馴染みのイントラムロスを舞台にした"Wall of Hell(64)")

あくまでも大衆娯楽作品が中心であったフィリピン映画は、日本の黄金期に生み出された、黒澤、小津、溝口を始めとした世界の映画史に残るような作品の数々を残しているとはいい難い。しかしここにもかつて、輝くスター達と、彼等に夢を託した庶民のシネマの天地はあったのだ。

彼等はどこに行ってしまったのだろう。

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