【はじめまして】レフカラレースが生まれたレフカラ村

公開日 : 2019年01月22日
最終更新 :

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レフカラ村は、キプロスの伝統民芸品レフカラレースが生まれた場所です。レフカラレースは現在ユネスコの無形文化遺産とされています。また日本旅行業協会のヨーロッパの美しい村30選にも選ばれております。村を歩いているとレフカラレースと銀細工を販売している小さなお店がいくつもあり、お店の前では村の女性達がレフカラレースを作っている姿を見ることが出来ます。先祖代々母から娘へと受け継がれてきた伝統手工芸は現在では後継者が減ってしまっているそうです。レフカラレースの柄は、幾何学模様、十字架、虫などがありますが製作者の自由に製作できます。レフカラレースはキプロスの国境を超えて評判が広がり多くのヨーロッパの国に知られていました。レフカラ村は、レフカラレースのおかげで繁栄し19世紀終わり頃には貿易取引が行われ20世紀初め頃までの30年間栄えていました。

レフカラ村は、海抜650mにありトロードス山脈の南東辺りにあります。ニコシア市内からは45km、ラルナカ国際空港からは30㎞離れたところにあります。海が近い割りに湿度は低く、夏季のあいだは過ごしやすいです。レフカラ村の人口は2017年度の調べではおおよそ1000人ほどとされています。レフカラ村の名前の由来は、村の周りに白い岩(石灰石)が多くあったためギリシャ語で白い岩lefkaraと名付けられたそうです。1489年から1570年の間ヴェネチアの支配下にありヴェネチア貴族とその家族のサマーリゾート地として人気がありました。ヴェネチアの貴婦人達がレフカラ村の女性達と交流し、レフカラレースの編み方を伝授したとされています。レフカラレースはリバーシブルで使用でき3色の茶色、白、肌色の色合いで作られます。1メートル四方のレースを仕上げるのに半年以上かかるそうです。

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あの有名な芸術家レオナルド・ダ・ウィンチもキプロスの女王キャサリン・コルナロに招待されキプロスに訪れた際にレフカラ村にも訪れたという説があります。その際に刺繍が施された大きなテーブルクロスを購入されたそうです。それは後にミラノ大聖堂で見つかりレフカラ村のレフカラレースだと判明され、本当にレオナルド・ダ・ウィンチがレフカラ村に訪れていたと認められたそうです。そのことからイタリアとキプロス両国で式典が行われました。レフカラ村の人々によると名画「最後の晩餐」に描かれているテーブルクロスはレフカラ村のレフカラレースだと言われているそうです。

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