六月の景色広がる、一乗寺・曼殊院門跡。

公開日 : 2015年06月12日
最終更新 :
筆者 : Akio

一日おきに雨が降る京都。

梅雨空の下、一乗寺・曼殊院門跡へと歩きました。

緩やかな坂道を登ると曼殊院は見えてきます。

土塀と苔の景色が何とも良い感じ。

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81年前の1934年(昭和9年)旅行作家・北尾鐐之助さんは

曼朱院を訪れて『京都散歩』の中で「曼殊院へ行く道」を綴られています。

「いったい、曼殊院の門といふものは、ちかごろ開かれた事があるのか。

 あの、左右にずつと広い白壁を展げた宏荘な表門。

 その前に築かれた高い石段。それ等は半ばくづれかゝつて、

 人の踏み登つたやうな跡は殆んど見られない。

 幽静といふよりも、どこかに廃頽といふ感じがある。小門を押してみたが

 開きさうにもないので、私は冷々とした石段の苔の上に立つて、

 ひとり麓の畑から来る雲雀の声を聞いてゐた。」

81年前、北尾鐐之助さんが見た曼殊院は、訪れる人もまばらで

静かな景色が広がっていたのでしょうね。

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書院に入りました。

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曼殊院は、天台宗の寺院。

延暦年間(728~806)、宗祖伝教大師最澄により、

比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまり。

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大書院前には遠州好みの枯山水庭園が広がり、

静かな景色が見えます。

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水の流れを表す白砂の庭園。

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目の前には樹齢400年の五葉松。

座って眺めているだけで、静寂が伝わって来ます。

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「そうだ、京都行こう。」で曼殊院が紹介された

 ポスターの言葉は・・・

「最澄が比叡山に開いた一坊が江戸中期にこの地に移り、

 優美な堂宇は「小さな桂離宮」と呼ばれました。

 建立したのは良尚親王。

 桂離宮を造った八条宮智仁親王の次男でした。

 茶道、華道、書道、香道、和歌の精進をつんだと言われるだけあって、

 紅葉と建物の見事なレイアウトや部屋の意匠へのこだわり等、

 内も外も曼殊院ならではの美意識に溢れています。

 JR京都駅から市バス5系統で「一乗寺清水町」下車、徒歩20分。

 近くに詩仙堂、修学院離宮、赤山禅院。紅葉散歩に最適です。」

               ・・・・・・と紹介されていました。

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梅雨の日の一条寺・曼殊院。

赤もうせんの向こうには、六月の景色が広がっています。

                  ※ 北尾鐐之助さん『京都散歩』。

                    「そうだ、京都行こう。」の言葉お借りしています。

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《曼殊院》

〇所 京都市左京区一乗寺竹ノ内町42

〇拝観時間 9:00~17:00(受付16:30)

〇拝観料 600円

〇アクセス 市バス 「一乗寺清水町」下車徒歩約20分

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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