今年は登れたザ・サドル
スコットランドの山岳地帯ハイランド地方に足を踏み込むと、天をつ山々が行く手をはばむかのように立ちはだかっています。その最高峰は海抜1300メートルほど。というと、それほどの高さでもないのですが、氷河によって削られたU字谷の底を走る道から見あげる千メートル級の峰々は道の両側に切り立つ緑の屏風岩さながら。樹木のとぼしい山肌は緑の草をまとっているだけ。頂付近は岩を露出している山々も。
そんなダイナミックな景観をもつ山々の姿に魅せられて、毎年、夏にはハイランド地方を訪れるわたしたち一家。
去年は、典型的なU字谷を形成するグレンシール(Glen Shiel)の山に登りたかったのですが、残念ながら千メートルを越す山に登れる好天には恵まれませんでした。登ることができたのは、800メートルほどの山(そのもようは、こちらから)。そのてっぺんから、「来年は、あの山に登ろう!」とイアンが指さす彼方に見わたすことができたのは、ミストの帽子をかぶったザ・サドル(The Saddle)。標高1010m。山頂付近は、文字通り馬の鞍か、腰かけのような形をしています。実際には、その山がちょっとした腰かけ程度のレベルではないことを知らないわたし、「登ろう、登ろう~」と、うきうきしながら同意し、今年のグレンシール再訪時にも、「まずは、サドルだっ!」と、イアンが息まくのに、「うん、うん」と、やっぱり、うきうきと同意して、えっちらおっちら、ウォーキングスティックを山道につきたてながら登りはじめたのでした。
グレンシールの谷底から見あげる山の稜線まで登りつめた地点が標高にするとちょうど半分。
まだまだ行けるぞってな感じで新たにあらわれた次なる山の高みをめざして登ります。
ところで、ザ・サドルはムンロー(Munro)のひとつです。ムンローとはヒュー・トーマス・ムンロー卿
(Sir Hugh Thomas Munro)が1891年からリスト作りをはじめた3,000フィート(914.4m)を越すスコットランドの山の峰々のこと。現在、ムンローは最高峰ベンネビス(Ben Nevis)をはじめとして283峰を数えます。
ちなみに、わが家が制覇したムンローは唯一ベンネビスなのですが、何しろ、あなた、ベンネビスはイギリス一の山。サドルなんて軽いもんでしょう。なんて思っていたら、おっとどっこい~。
ここで、あえなく挫折。
ここが、サドルへの一番の難所フォーカンリッジ(Forcan Ridge)のはじまり。湖水地方のヘルベリン(Helvellyn)山のストライディングエッジ(Striding Edge)のようにはまいりません。後で知ったことなのですが、このフォーカンリッジを経てのサドル登山はスコットランド登山の中では一番困難な部類。スコットランドのウォーキングのサイトの評定によると最難関の難易度5。イギリス最高峰とは言え、登山道の整っているコースを登るベンネビス登山の難易度は3なのに~。ここから先は頂上までずっと露出した岩場つづき。しかもいったん登りはじめると、後退はほぼ無理、先に進むしかないのです。何しろ岩場は下りの方が登りよりずっと大変なのですから。ということは、よじ登れないような岩が出てきたらアウト。レスキューを頼むしかないってことです。
レスキューを呼ぶまでは行きませんでしたが、一度、湖水地方の岩場で足もと一寸踏みはずしたら奈落の底へまっ逆さまなんて場所を下らねばならない状況に遭遇したとき、わたし自分の限界を悟りました。
この岩山の尾根はわたしのレベルじゃない。身のほどをわきまえた直観がここまでと警鐘を鳴らしています。勇気ある撤退などからは程遠いまるっきり勇気のない撤退ではありますが、しかも、フォーカンリッジを行きたいイアンとユインには申し訳ないけれど、ごめん。あきらめて。わたしには無理。絶対、無理。だからって、岩場の尾根フォーカンリッジの足もとをうかいしてサドルの頂上をめざすことにしてくれたのはよかったのだけれど、
草地に大きな岩がごろごろ突き出す急斜面を四つん這いになって何とかあと目と鼻の先で頂上ってところまで登ったところで、「あ、まちがえた。頂上はもっと先だった」だなんて~。イアンちゃ~ん。四つん這いでのぼった斜面は後ろ向きの四つん這いで降りるしかないんですよ~。
「ちょっと先見てくるから、ここでおまえたちは待ってろ」って......? 「いいよ。いいよ。イアンちゃ~ん。ここからの眺めもじゅうぶんに絶景だし、お昼もだいぶん過ぎていることだから、ここでおにぎり食べてもうおりようよ~」ユインはもろ手をあげて同意しているのに、何を言っているんだ、おまえ。ここまで来て頂上をきわめないだなんてことがあってなるものか。みたいな背なかを見せて姿を消したイアンが、「行くぞ~っ!」と、大声をはりあげてもどってくるので仕方ありません。急斜面にしがみつきながらさらに数十メートル進み、今度こそサドルの頂上へとまた四つん這いになってよじ登っていくわたしたちなのでありました。ところが、サドルの頂上へ登りつめてみると、そこは切り立った岩場ではなかったのです。
なんだか気が抜けたといいうか、ほっとする広がりをもつ場所なもんで、「これがほんとうの頂上なのかなあ~」なんて、また、イアンが首をかしげる始末。「でも、ほら、そこにトレックポイントがあるんだからまちがいないでしょ~」トレックポイントは辺りで一番高い位置の目じるしになるコンクリートのでっぱり。
「そうだよなあ。じゃあ、ここら辺でランチにしよう」「そうしよう、そうしよう~。もう3時なんだからね~」と、えっちらおっちら背負ってきたおにぎりお弁当を広げていると、どこからともなく飛来したカラスが1羽、わたしたちの足もとへヨタヨタと......。
イアンがおにぎりの破片を投げてやると、それはそれは美味しそうについばむので、
イアンはさらに分け前を投げてやらずにはいられません。なんてことをしていると、
はるかなフォーカンリッジの岩場に、
動く小さな人影がひとつ、ふたつ。その姿はいつかひと組のカップルになって......。
わたしたちのそばまでやってくると、頂上のしるしトレックポイントの向こうに立って記念写真がはじまるもよう。「撮りましょうか?」と声をかけるイアン。「じゃあ、スカイ島を背景に」と言って笑顔を見せるカップルをイアンがカメラにおさめると、カップルの男性いわく、「実は、これが最後のムンローなんですよ」えっ、ええ~っ! まだ30代の半ばと見えるのに、これでムンロー283全峰を制覇したんですか~。「おめでとう~!」と、カメラを返すイアンにづついて、「おめでとう~!」わたしも思わずお祝いの言葉をかけずにはいられませんでした。人ごとながらムンロー制覇の偉業成就の瞬間に立ち会うことができるなんて。ムンロー制覇はどうやらカップルの男性の方だけのようなのですが、フォーカンリッジを踏破してきた女性にも心の中で拍手喝采を送りながら2人に別れを告げてわたしたちは下山の途に着いたのでした。
と言っても、案の定、
半分も下らないうちにくだんのムンローカップルに追いつかれてしまったのでしたが......。
さすが健脚。
わたしたちはわたしたちのペースで。
午前10時前に登りはじめ、下山したのは午後6時半を回ったころ。
翌日、わたしたち一家3人、これまでに経験したことがないひどい筋肉痛に見舞われることをまだそのときにはつゆ知らず、
暮れなずむ夕刻の空のもと、ザ・サドル登頂の達成感に酔いしれながら空き腹をかかえてグレンシールを後にしたのでした。
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